聖書の学び

【悔い改め】の必要性を解説

こんにちは!フラット君だよ🍀( ´ ▽ ` )

“悔い改め”と聞くと仏教と勘違いする人がいますが、実際にはクリスチャンの言う悔い改めは仏教のモノとは違います。どちらかというと《イエス様の血潮によって清めてくださいとお祈りする行為》を言うそうですね。意外と見落としがちですが聖書でも悔い改めをしなさい&しなければならない理由が書いてあります👇

マルコの福音書1:15/ルカの福音書5:32

ルカの福音書24:47/使徒11:18/詩篇32:1〜5

1ペテロ1:18〜19/1ペテロ1:15-16

出エジプト34:7/出エジプト20:5/民数記5:9

1ペテロ1:18-19/哀歌5:7/エレミヤ5:25

※エゼキエル書18:20“勘違いされやすい聖句”

IMG_7653.jpeg

↑先祖や父母の咎は私達は負い目がありません。しかし、実は聖書に出てくる罪と咎は別物😅ホント日本語って難しいですねw つまり先祖の咎(責任)は関係ありませんが、咎から出てきてしまった罪は代々引き継いでいます。誤解のないように、悔い改めは救いの条件ではありません。天国に行くには《福音》を信じるだけです。律法主義も間違いです。

つまり悔い改め(イエス様に清めてもらう作業)はイエス様の似姿に作り替えていただく霊的成長をする為の行為みたいなものなんですね。我らが王である主は私達に完全な者になって欲しいと願われています。もちろんそうは言っても私達は完全には絶対になれません。完全なのは神だけです。しかし主は私達の親でもあり教育者です。天国に入る前に私達をもっと心優しく悪口を言わない欲求に支配されない素晴らしい人間になって欲しいと思っておられます。そんなわけで私達は天国に入るまで、この地上でイエス様によって日々清められなければいけません。

しかし悔い改めは救いの条件ではないので、個人の自由です。ですが主が望んでおられる行為なので、僕も強くオススメします。

更に言うと、悔い改めをしないまま生きているとクリスチャンになってからも以前のように女遊びを続けたり、汚い言葉で人を蔑んだりしてしまう人もいます。『あの人嫌い』と言っただけで霊的には殺人をその瞬間犯してしまっています。罪の芽は日常生活の至る所にあるんですね。私達はイエス様に喜ばれる器となる為に、今までの自分を捨てて主によって作り変えられなければいけません✨

救いの条件ではないのでやりたい人だけやればいいと思います👍でもやるとめっちゃ急激に自分が変わっていくのがわかるのでやらないで批判する方は損してるかも… お任せします🍀

【オマケ】オススメの信仰書↓

こちらの2冊をセットで読むのがオススメです。ただ読むだけではなく口に出して宣言するのがオススメです。聖書が主食ならこれらはおかずのような感覚で日々少しづつやっていくといいと思います。⚠︎悔い改めの本が現在は絶版でプレミア価格で10,000円ぐらいで取引きされているようです。定価は両方とも1,500円ぐらいです。メルカリ等で入手できるかもしれません。

それでは今日も主だけを見上げていきましょう🙌シャローム!